Gears-日本刀の種類と部位-

日本刀の鑑賞のポイント

日本刀を鑑賞するうえでおさえておきたいのが、「地肌(「地 がね 鉄」と表現することもある)」である。 地肌とは、折り返し鍛錬を行うことによってできる「地(焼き入れされていない部分)」の模様のこと。一見何の模様もないように見える「地」だが、よく見てみる と、日本刀一本一本に、独特の模様が存在する。これは、炭素の量の異なる材料を 組み合わせて折り返し鍛錬を行うことで生じる模様で、炭素が多い部分が黒っぽく 見えるために生じる現象である。 材料となる鋼をどのように折り返して鍛えるかによって模様が決まることから、 作られた時代や地域を知る手がかりの一つになる。 いためは「板目肌」「杢目肌」「柾目肌」「綾杉肌」「梨子地肌」などに大別されるが、溶かし いがた た鉄を鋳型に流し入れて作る鉄製品には決して見られない独特の模様であり、日本刀鑑賞の醍醐味ともいえる。

色彩をもつ「刃」

日本中を席巻している話題のアニメに登場する日本刀は、持ち主によってその刀の色が変化するようなのですが、現実的には今のところ、そのような刀は存在しないと思われておりますが、このたび島根県の奥出雲町の刀剣館では、実際にアニメの中で登場する主人公が刀剣を手にした時の色の刀が、展示され人気を博しているようです。最近ではその他のアニメや漫画においても、爆発的なヒットが生まれるたびに、そのモデルとなった地域が多くのファンを呼び込み社会現象を巻き起こし、各メディアによってクローズアップされたり、これまでは社会の隅の方で影の薄かった存在が、急にスポットライトを浴びはじめるようなことがありますが、今回注目を集めている刀剣が登場するアニメは、日本中の老若男が、映画化されたアニメの面白さをSNSなどで語っております。今回注目を集めている島根県の奥出雲町の黒い刀を展示する刀剣館にもしばらくは、人の波が押し寄せるのではないでしょうか。昨今のアニメブームとともに、アニメのコラボ商品が、店頭から驚くべき速さで売り切れ状態になってしまうのだそうです。アニメブームが驚くほどの数の人々やその心を動かしているのは、その作品のもっている偉大な力とも言える不思議な現象ばかりであります。

刀剣の手入れの際の注意、保管方法など

日本刀は、丁字油や打粉を使って手入れを行います。せっかく手に入れた刀であっても、手入れや保管の方法、道具の使い方を間違えてしまっては本末転倒です。そもそも日本刀は、どれくらいの頻度で手入れをすれば良いのでしょうか。あくまで時期や状態を見ながらにはなってしまいますが、三ヶ月に一度程度を目安としています。油を塗っておいたとしても、3ヶ月以上経つと、酸化をしてしまう場合があります。油が酸化すると刀身にこびりついてしまうのです。手入れは、古い油を拭い取って、その後に新しい油を塗りましょう。ただし、新しく打ったばかりの刀は特に錆びやすい状態になっています。刀が新作である場合には、半年ほどの期間は、10日に1回ほどの手入れを心がけましょう。刀剣は鉄でできているため、長い間放置していると錆びてしまうこともあります。頻繁に鑑賞するという場合には清潔なネルでぬぐう程度で問題ありません。刀剣の保管方法についてですが、まず刀の外装には拵と白鞘があります。拵は、柄や鍔のついている状態で、一般的に日本刀と言われて思い浮かべる人も多いだろう状態です。武士が腰に差している状態のものです。白鞘は、色なども塗っていない木材の状態です。外出をしないときには白鞘に入れて保管をしていたそうです。刀を保管するときには、必ず白鞘に入れて保管をしましょう。拵に刀身を長く入れておくと、拵の内部の汚れで傷がついてしまうこともあるそうです。刀身にはしっかりと油をつけて、錆びや傷などを防ぎましょう。また、もしも錆びや傷などが見られたときは、素人判断をせずに、すぐに専門家である刀剣商や研師に相談をして、手入れをしてもらいましょう。

刀剣の流派「五箇伝」

刀剣の鑑別の中で、ポイントとなる「五箇伝(ごかでん)」は、現在の奈良県の「大和伝」、京都府の「山城伝」、岡山県の「備前伝」、神奈川県の「相洲伝」、岐阜県の「美濃伝」 の地域べtに分けられた刀剣の分類を表しているようです。このような五箇伝の分類から、作者や流派の特定が行われているようです。刀剣の出生をたどることは、 現代における刀剣の鑑賞において大変重要な役割を果たしているようです。刀剣をコレクションするにあたって、五箇伝などの分類要素を知識として備えておくことは大切なことであるようです。その中でも特に歴史の長い現在の奈良県における「大和伝」は、平安時代の初めの頃から、寺院などの鍛冶職人として武器を作り始めていたようです。さらに武器の需要が高まると、山城、備前、相洲、美濃などといった 各地でそれぞれの特色を持った日本刀が作られ始め、地方へ拡散された鍛冶職人たちも、いずれかの流派の特色を汲んでいるとされているようです。

刀剣の目利書とは

鎌倉時代初期あたり、後鳥羽上皇の時代には、刀剣の目利きが行われていたようです。武器であった日本刀が、美術品としてその価値が一部の階層の人々の間にもたれていたようです。その鑑賞に関する方法も、個人的な判断ではなく、しだいに流行や風潮といったような、社会的な鑑賞法として評価になっていあったのではないかと考えられているようです。現在にも、一般的な刀剣の鑑賞法や評価がありますが、ほぼ似たような視点から人々は刀剣に価値を抱いてもいたようです。刀剣に関する情報が世の中に広まる中で、様々な評価が生まれてきたようです。刀剣に関する一般的な指針を示したものを「刀剣目利書」と呼ぶそうですが、現存する最古のものは、1423年頃のものであるようです。このような目利書を追ってみますと、時代のはじめの頃は、刀剣に対する切れ味や強靭さなどの実用的な部分を主観とされていたようです。また、刀の縁起や所有者に関する吉凶などの良し悪しが重要視されてもいたようです。このような鑑定ポイントが、室町時代の後半になると刀剣の美術的価値を述べる観点が重要ともなってくるようです。

太刀と大太刀

日本刀には、様々な種類があります。歴史とともに、形やそのネーミングは変わってきました。特に長さなどは、その分類の特徴を捉えるのにわかりやすい要素であるのではないでしょうか。日本刀には主に「太刀」「大太刀」「打刀」「脇差」「短刀」「槍」「薙刀」などの6種類ほどの分類があるなどと考えられているようですが、細かなパーツの種別は、バリエーション豊富にその特徴の違いを捉えられているようです。平安時代の後期から少しずつ作られるようになった「太刀」は、おおよそ室町時代の初めの頃まで、世に現役の刀として流通していたようです。騎馬戦などで有利であるなどと言われていますが、形状の特徴としては刃を下にすることです。腰に吊るすようにして帯刀します。観賞用として、飾る際にも刃を下に向けることが特徴と言えるでしょう。「大太刀」は、太刀よりも長く大きなものを言います。戦いの中で使用されるだけではなく、神を祀る際も御神体などとしても存在しています。室町時代の後期には、武士たちのシンボルとして大太刀は、活躍したようです。

刀剣とショップ選び

刀剣をコレクションする際に、日本刀選びも重要ですが、水選びも大切な要素となってくるでしょう。刀剣は奥が深く専門的な知識が必要であると言われておりますので、何かしら不明瞭な点が出てきた際に、些細なことでも尋ねることができるようなショップとの関係性は必要ではないでしょうか。ネットオークションなどでの購入の場合は、クレームや苦情を行うだけでも受け付けることが無いなどといったようなケースもあるようです。また不良品などが発生した際の返品方法なども不明確なこともあるようですので、きちんとした所在のわかるお店での購入が何よりも重要です。刀剣を購入する際には、アフターフォローなどのサービスが充実しているお店が望ましいでしょう。刀剣のメンテナンスには専門的な道具や知識が必要となってきますので、あらゆるサポートを行えあらゆる、専門知識が備わったお店選びが必須であると言えるでしょう。また当券を購入する際に、作者や銘などは重要なポイントとなってきますが、無銘であっても出来の良い刀剣はありますが、有銘であっても出来の悪い刀剣もあるのです。何よりも素人を騙したり、お店側の利益になるような取引を押し付けてくるようなショップは控えるようにいたしましょう。刀剣の見極めも必要ですが、お店も重要な要素となります。

日本刀の変化

日本刀は、戦闘の形式の変化と共に、その形も変わってきました。日本人が使用していた最も古い刀剣は、縄文・弥生時代までさかのぼると言われています。この時代の遺跡から出土し、古墳時代に入ると大刀(横刀)が登場したそうです。平安時代に入ると、日本刀は直刀も反りをつけて湾曲した形態に変化していきます。鎬造という現在の形に近いものが確立されていくのです。鎌倉時代に入ってからは、戦乱の世が始まりました。組討ちや斬り合いなど、総合的な形の戦闘へと移行していきます。実際の戦闘で、太刀をふるう場面が多くなってきたのもこの頃からです。そして南北朝時代に入ると、三尺近くの大きさを持つ太刀が登場し、さらに三尺を超えるほどの大太刀が出現しました。また、実際には腰に差して使っていた腰刀が、太刀ほどの長さを持つ打刀に変わっていったと言われています。太刀は刃を下にした状態で佩くというスタイルでしたが、打刀は刃を上に向けて差すというスタイルです。打刀が使われるようになった頃には下級武士たちの指料として使われてきましたが、やがて上位の武士であっても、差添である打刀のみを身に付けるようになりました。打刀は鎬造で反りを持っており、打ち斬るという使い方に非常に適していました。戦国期には、槍や鉄砲を主戦力の武器として持っていき、そこに打刀を差添として持っていくことも多かったそうです。江戸期に移る頃に、打刀が日本刀の代表になりました。脇指との二本差しが定着して、常に持ち歩くようになったそうです。しかし戦乱の世は続き、日本刀が使われる機会は減っていきました。幕末の動乱期に再び使われましたが、明治維新からは実用的な物としての役割を終えていきました。